青山俊董氏(愛知専門尼僧堂堂頭)が致知2024年1月号の五木寛之氏(作家)との対談で次のように語っている。
お師家様からいただいた十のお話を全部聴こうという姿勢で一所懸命聴いてきたつもりでおります。けれども、受け皿が一なら一つしか聴けませんですわな。
いくら尊いお話をいただいても聴けないわけです。ですから私はお師家様のお話を一所懸命聴いてきたつもりでもほんの一部しか聴いていなった。その一部でさえもちゃんと聴いていればよろしいのですが。
90歳を超えて堂頭として後進の指導に当たられている青山氏の言葉だけに重みを感じる。
青山氏をして言わしめる「受け皿が小さければ尊い話も受け止められない」ということを考えてみたい。
人は往々にして、自分の都合のいいように人の話を聴く、あるいは解釈する傾向にある。
昨今大きな社会問題化している政治資金規正法の解釈に関しても、世間の人が考える規制の在り方と政治家が考える規制の在り方に大きな隔たりがあるようだ。
本来の法の趣旨は「正しい政治」を行うために、政党交付金をはじめ政治家に税金から資金を供与し、政治家に政治資金の在り方、適用・運用を平等にして資金の多寡によらず、良い政治家を育んでいくことにあったはずである。ところが、器の小さい政治家、受け皿の小さい政治家が自分たちに都合のいいように解釈して運用しているのが現状であろう。
政治家に限らず、我々社会人は自分自身の器を大きく育てる、受け皿を大きくする努力を日々行い、「尊い話」をしっかり受け止められるように成長していくことが望まれる。
「お天道様は見ている」という言葉があるが、上に立つ者はこの言葉をしっかり認識し、古の昔から日本になじんでいるこの言葉の真意を受け止めて正しい世の中に導いていく責務があるのではないだろうか。上に立つ者が間違った認識で行動すれば世の中が乱れていく。現代はそうなりつつあることに警鐘を鳴らし、一人ひとりが「お天道様」としっかり向き合えるような生き方ができるように、自分自身の器磨き、受け皿づくりに励んでいきたいものだ。
そのためには「素直な心」を大切にし、人の話を真摯に受け止める努力を積み重ね、自分の頭でしっかり考える習性を身につけ、日々の生活・仕事・趣味を大事にすることだ。まさに、「今」を大事にし、近い将来、遠い将来へと想い・志向を伸ばし、高い志を持って生きていくということである。
株式会社CSDコンサルタンツ
代表取締役 西里 喜明
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